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2012-09-04 23:08 | カテゴリ:ava
ということで、少し書く気になったので近況報告でも。



AVAは前の大会以来やってません。
7月下旬くらい?にあった伊丹オフイベでやりましたが・・・。
実家でPC不調、それを直す気力もなくやってませんでした。



なぜオフライン大会出ないのかと言われたら、忙しいからと答える。
でも、実際本当に心から沸いてくるようなやる気さえあれば何事もできないことはない。



FPSをはじめて6年。



AVAをはじめて3年。



その6年間の間生活を営むに於いて、本業以外の時間のプライオリティは常にFPSが一番であったし、
それになんらの不満はなく自ら望むところだった。

それは、間違いなく自分の心から沸いてでるFPSが好きという気持ちだったし、



やりたい事を時間がある今のうちに後々悔いが残らないまでやりたい



という想いだった。

それは、その時間を学生らしい生活を送ってまた違った豊かな経験をする という行為をせずに後で後悔することと、FPS(本当にやりたいこと)をやらずに後悔すること を天秤にかけたときに、明らかに自分の中で後者のそれは受け入れ難かった。

というのも人生で夢中になったものは数あれど、熱中度という観点からいうと明らかにFPSは他と一線を画しているという予感というか、観念があったからだ。




「彼が旅に出かけようと思ったのは、もとより定まった用事のためではなかったとしても兎も角それは内心の衝動だったのだ。彼は、その衝動を抑制して旅に出なかった時には、自己に忠実でなかったように思う。自己を欺いたように思う。見なかった美しい山水や、失われた可能と希望との思いが彼を悩ます。よし現存の幸福が如何に大きくとも、この償い難き喪失の感情は彼に永遠の不安を与える」




という文節がワッサーマンの40の男という本の中にあるらしい。

まさに、見なかった美しい山水や、失われた可能と希望との思いに僕は悩まされたくはなかった。



けれども、最後の1年間ほどは僕は完全にAVAというゲームには飽いていたように思う。

チーターが優勝候補をなぎ倒してオフラインには出ない、日本代表が大会に数クランで重複出場してる奴ら
そんなWarRockの大会に嫌気がさして、はじめたのがAVA。

当初はワイワイでやってたけど、2010年AVAれ祭りヒルズの陣のPVをYouTubeで見てから、





こんな華やかな舞台に立ってみたい
WarRockで成し遂げられなかった全一、日本代表になりたい




という想いからAVAをガチでやりはじめた。

それからは、人になんと言われようが、目標がある以上それへの最短と思われる行動をとった。

最後の一年間、飽いた一年間のモチベーションを支えていたのは間違いなくその想いだけだった。

そして遂に目標を達成した。

これは春の陣の優勝後のインタビューで少し言ったことだけれど、




人は本当に心から熱中できるものを見つけるのは難しい。
そして、そのことに集中することを許される環境を作ることは難しい。
また、そのことを継続し結果を出すことはさらに難しい。





これは僕が常々思っていたこと。

結果を出すということは、なによりも運が必要。

僕は、もちろん自分の努力がなかったとは言わないが、運に恵まれ、なにより仲間にも恵まれた。



(笑われるかもしれないが)あの時、あの優勝の瞬間は間違いなく僕の人生のハイライトだったし、一生誇りに思うと思うし、忘れることのできない瞬間だろうと思う。

感動の種類は数あれど、ああいった類の爆発的な感動は、普通スポーツ選手やある一定の限られた人にしか経験できないものであるし、自分にとって無縁のものだと思っていた。


結局僕は、美しい山水を見、可能と希望を腕に抱くことができた。



それで、なにか僕を支えていたものが崩れ、最後の大会はなんとか踏ん張れたけど、僕を再びあの舞台に立たせるものがなくなった。




そして、僕の中で確実にプライオリティが変化した。





また新たに目指すべき目標も、朧気ながらある。





皆さんの狐疑の皺が目に浮かんでくるので、明確に言うと引退するのではない。

ただ今の価値観ではそうなっただけで、価値観なんて明日にでも変化するかもしれないし、しないかもしれない。




とにかく、今は知らないもの、蔑ろにしてきたものに黙然と目を注ぎ、もう少し怜悧狡猾にならねばと日々を過ごしています。
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